曲目紹介 

交響曲第9番 ニ短調 作品125「合唱」

1792年、ベートーヴェンはハイドン(1732-1809)に師事すべくウィーンへ移り住み、その研鑚の成果として「ピアノ協奏曲第1番」(1794-1795)、「交響曲第1番」(1799-1800)など初期の代表作を完成させた。不幸にも1798年頃から難聴に悩み、1802年には絶望のあまり「ハイリゲンシュタットの遺書」を書いたほどであった。しかし、この苦境を克服し、それまでの交響曲に例のない規模を持つ傑作「交響曲第3番 英雄」(1803-1804)を完成、独自の作風を確立し、続く約10年間に「交響曲第5番 運命」(1807-1808),「交響曲第6番 田園」(1808)を始め、ヴァイオリン協奏曲、ピアノ協奏曲、ピアノソナタ、ヴァイオリンソナタなど数々の作品を発表した。これら中期の作品群のなかでソナタ形式を窮めながらも、難聴が極度に悪化する中、病気や心労に悩まされ、次第に変奏曲の手法を中心とした瞑想的作品を書くようになったベートーヴェンであったが、しかし創作への意欲を燃え上がらせて大曲「ミサ・ソレムニス」(1818-1822)に取り組み、その余勢を駆るようにして完成させたのが、生涯の総決算ともいうべき大作「交響曲第9番」であった。シラー(1759-1805)がフランス革命前夜の1785年に頌詩「歓喜に寄す」を発表した時、ベートーヴェンは16歳であった。新たな時代の精神を高らかに謳いあげ、自由にして平等な人間の尊厳と同胞愛を讃えたこの詩はボンの青年たちによって盟約の詩として尊ばれていた。

 シラーの讃美者であり、ベートーヴェンと親交があったフイッシェニッヒ教授は、1793年1月、シラー夫人に書を送り、「彼は歓喜をも、しかも各節残らず作曲するでしょう…」とこの時すでに告げている。スケッチの開始はこの手紙から、さらにさかのぼるものと考えられている。(なお、後々の「第九」作曲にあたり、原詩はベートーヴェンの手による改変を受けている。)
 だが、その作曲の構想が本格化しはじめたのは、それから29年後の1822年、「ドイツ交響曲」のプランにおいてであった。この交響曲の最後に、現在とは別の旋律で、「歓喜に寄す」の合唱を入れる予定だったのである。
 一方、「ドイツ交響曲」とは別に、ニ短調の9番目の交響曲のプランが「第8番」の書かれた1812年ごろから練られており、1822年10月10日、ロンドンのフィルハーモニック・ソサイエティからの新作交響曲の委嘱により具体化することとなった。
 最後の交響曲となるかも知れない第9番目のニ短調交響曲の作曲にあたり、彼は「生涯の最後の重要な段階の、大きな壁画のために
―いわば遺言のために」(ロマン・ロラン)、ドイツ交響曲をご破算にし、ライフワークと言うべき「歓喜に寄す」の詩を挿入することにしたのである。
 ドイツ交響曲の一楽章として構想されていた合唱つきの第4楽章と、別に器楽曲としてスケッチされつつあったニ短調交響曲の3つの楽章との間は連繋のうすいものとなる危険もあったが、今日の第4楽章に見られる、まさに天才的な着想によって緊密に結びつけることに成功している。
 作曲は1823年の2月ごろに完成した。この頃、ベートーヴェンの愛してやまない人間の自由、平等の理念は反動的なウィーン体制によって禁止され、各地の革命運動は次々と鎮圧されていた。また、個人的にも、彼は体調の悪化、甥のカールの養育問題にひどく悩まされていた。このような溢れ出る歓びのひとかけらもない生活のただ中にあって、情況に抵抗し、闘い勝ち取られるべき目標としての歓びを表現したのであった。 初演は1824年5月7日、ウィーンのケルントナトーア劇場において、作曲者自身の総指揮(実質的には宮廷楽長ウムラウフが指揮)により、「献堂式」序曲、「ミサ・ソレムニス」の一部とともに行なわれた。演奏会は大成功を博し、熱狂した聴衆が、当時のしきたりとしては3回までのところ、5回も彼をステージに呼び出したことから警官が出動するさわぎとなったほどであった。交響曲への声楽の導入など、さまざまな独創に満ちた「第九」は、初演当時の評論こそ必ずしも肯定的なものばかりではなかったものの、続くロマン派の諸作品が生み出される端緒となり、後世の作曲家たちに計り知れない大きな影響を与えたのである。

〈第1楽章〉アレグロ・マ・ノン・トロッポ、ウン・ポーコ・マエストーソ、ニ短調、4分の2拍子、ソナタ形式

 冒頭では調性の長・短を決定する第三音を欠き、長調とも短調ともつかない「空虚五度」の上に第一主題の断片が示される。しだいに曲調は激しさを増し、8つの異なった動機群から構成されている第一主題が呈示される。
 軽やかな経過部ののち、楽しい性格の第二主題が、予想されるニ長調ではなく、変ロ長調で現れる。やがて両主題が交錯し、展開部へと移行する。再現部での主題の扱いは呈示部とかなり異なったものとなっており、ベートーヴェンの先鋭性が現れている。

〈第2楽章〉モルト・ヴィヴァーチェ ニ短調、4分の3拍子

 作曲者によって明記されていないがスケルツォ(快速な舞曲のリズムを持つ諧謔的な曲)である。交響曲では、第二楽章にはゆったりとしたテンポが採用されるという通例に初めて逆らったものである。その理由については、第一楽章で高まった悲壮な気分をここでひとたび皮肉、ないし自嘲的に解決させようとしたものではないかともいわれている。
 初めのスケルツォ部では通常の5度ではなく、オクターブに合わせられたティンパニが特徴的である。続くトリオ部は牧歌的な朗らかさを持つ(ニ長調、2分の2拍子)。その後再びスケルツォに戻る。終曲直前にトリオが再び顔を出す点も面白い
  

 〈第3楽章〉アダージョ・モルト・エ・カンタービレ、変ロ長調、4分の4拍子

 拍子も調も異なる2つの主題が組み合わされている、独特の変奏曲形式をとる。ニ小節の導入を経て、まずアダージョで第一主題が示され、やがてアンダンテ・モデラートに速度を速め、ニ長調の第二主題が姿を現す。ニ長調という調性、4分の3という拍子が、それぞれ神性を意識させるものであることから、ここに天国を予見した人類の希望のよろこびが表わされているように感じられる。繰り返される変奏による美的陶酔はファンファーレ風の楽句により断ち切られ、コーダへと続く。 

〈第4楽章〉ブレスト、ニ短調、4分の3拍子―アレグロ・アッサイ、ニ長調、4分の4拍子

 自由な変奏曲形式。歓喜の頌歌の始まる前に、人類は長い迷妄と、多くの闘争を乗り越えなければならない。苦難を示す奇怪なさけびや、これまでの楽章の回想が幾度となく示されるが、ことごとくチェロとコントラバスの叙唱によって否定されてゆく。特に、第3楽章の美しい旋律に対しては、叙唱もいっとき寄り沿うかのような動きを見せるのであるが、意を決したようにこれを打ち消す。次いで現われる主題のみが肯定され、歓喜の合唱が始まる。
 その後歓喜の主題は変奏を重ね、神の臨在を示す智天使ケルビムのくだり、トルコ風行進曲に乗せて描かれる人間の自由と尊厳を賭けた闘いの箇所を通じて、ようやく合唱により全貌を現す。やがて全人類への神秘的な呼びかけ、天上的なニ重フーガを経たのち、プレストの熱狂的興奮のうちに曲を閉じる。
歌詩: 「歓喜に寄す」